ミロヴィ幼女

思っていないことを思う

社会は厳しいぞ。もういいぞ

 更新サボってたので短いですが少し。

  子供の頃に「将来は〜になりたい!」という風に夢を大人に話すと「世の中はそんなに甘くないよ」とか「社会は厳しいぞ」というようなアドバイスをもらった経験がある人は結構多いのではないでしょうか。身の回りの大人のほとんどは程度の差はあれど社会に属して生活を営んでいるわけですから、社会に出たことがない子供にとってこの大人から与えられる「社会は厳しい」という指標は信じざるを得ない(裏を取れない)情報として提示されます。このようなやり取りを親や親戚や教師といった大人たちと繰り返すうちに子供は社会という場所は厳しい環境なんだなと刷り込まれがちです。そして実際に社会に出た子供たちの中で一度も理不尽な仕打ちを受けずに一生を終えられるのは全体の数パーセントにも満たないはずなので幼い頃から刷り込まれた「社会は厳しい」という情報は実体験としてより強く固定されます。そして自分たちに子供ができるとアドバイスをするわけですね「社会は厳しいぞ」と。

 でもこれってアドバイスに見せかけた逆マウントですよね?何故ならば「社会は厳しい」とアドバイスができる人間は総じてその厳しい社会を作り上げている構成員の一人であるはずだからです。自分たちが過酷にした、もしくは自身が過酷な環境に飛び込まざるを得なかったことを棚に上げて社会の厳しさを子供に説くというのはひどく身勝手で卑劣な行為のように思われます。経験的に未熟な相手に不幸自慢をして自らの過ちを見て見ぬ振りする暇があるのなら、少しでもその厳しい社会とやらを改善する努力をすべきではないでしょうか。

 最も忌々しいのは彼らには悪気が一切ないところでしょうね。「社会は厳しいぞ」と忠告する時に申し訳なさそうに言ってくる大人に僕は遭遇したことがありません。大体の場合は被害者面か自分を誇るように言ってくるように思います。自身が社会に属していることを根拠にその社会に対する自己の見解について言及しているにも関わらず、自身がその社会の一要素であるということを認識できていない様子なのは単純に不可解です。社会の厳しさをどうしても説明したい場合は最低でも自らの恥部を晒しているのだという自覚を持って説いて欲しいです。

 

 上のようなことを実際に大人に向かって言ったことはないですが、返答は大体2パターン予想できます。まず相手を軽んじるパターン。つまり相手が社会に属した経験がないという根拠を使って自身の言動の正当性は揺らがないとする返し方です。屁理屈をこねるなというような返しもこれに属します。そしてもう一つは責任逃れをするパターン。つまり巨大な社会を自分一人の力で動かそうとするのは無謀であり理想論にすぎないという返し方です。正直な話どちらのパターンも的外れだとは思いませんが、じゃあ死ねばいいのにとは思います。辛くて厳しい環境を改善することはおろか理想を抱くことすらできずにネガキャンして回るくらいなら死んだ方がマシだし楽だと思うんですよね。もちろん仕事はしょうがなくやってるだけで生きる意味は趣味に見出してるって人もいると思いますが、生きる意味になるくらいの趣味を見つけてそれと生活を両立できている時点で社会は厳しくないような気がしますしそう見える人から社会の厳しさを説かれた経験もないです。

 

 今回は「社会は厳しい」という発言についてだけ思うところを書きましたが、この手の無責任なアドバイスは無数にあるし、実際子供はそれらを浴びるようにして育っていると思います。他人に物事を教える立場にあるならば聞き慣れただけ、言い慣れただけの言葉をさも自分の言葉であるかのように口走ってしまう怖さについては最低限自覚的であるべきなのではないでしょうか。