ミロヴィ幼女

思っていないことを思う

キャパオーバー

 去年の冬から今年の春くらいにかけてvtuberの波がどかーんと来て、正月休みやら春休みやらの暇な時期にいろいろ見漁って好みのチャンネルをいくつも掛け持ちした結果学校や仕事が始まったタイミングでキャパオーバーしてるオタク無限にいるよねって話。

 

 

 今一番顕著で分かりやすい例としてvtuberを挙げてみたけど、vtuber興味ないって人でもアニメとかソシャゲとかでも同じ。好きなことだしそのジャンルのものを全部味わいたいけど時間やお金が足りないよ〜;;ってのは案外みんな持ってる悩みなのかもしれない。だがそれは本当に悩むようなことなのだろうか?

 

 ここで大事なのはそのキャパオーバーしている状態をどう捉えるかだと思う。おそらく好きなコンテンツを全て追いかけられないという状況を『損』していると感じる人も多いのではないだろうか?だから自分が追いかけられる範囲内でそのコンテンツは完結しておいて欲しいと思うようになる。その結果好きなはずのコンテンツが拡大することに対して否定的な意見を持つようになる。例えばソシャゲを大量に作る意味がわからないとか、面白くないアニメを放送するくらいなら枠を減らしてもいいんじゃないかとか、vtuberはこれ以上増えられると困る、とかいうふうに。

 

 しかし僕はいつも逆に考える。というのも好きなコンテンツが消化しきれないほど膨れ上がっていくことは消費者の立場に限って考えればどう転んでも『得』なんだ。だって考えてもみて欲しい。好きなコンテンツの全てを味わい尽くしている状態ってのは本当に幸福なのか?新たな供給はいつあるかわからない、毎日毎日公式HPやTwitterを更新されていないか確認しに行く渇望の日々を過ごしている人だって現実にはいるんだぜ。その人たちに向かって「いや〜僕が好きなコンテンツが最近活発すぎて追いきれなくて困ってるんだよね……」なんて言っちゃった日には刺されても文句は言えないと思わないか?つまり、僕は好きなコンテンツが常に追い切れないほどの速度で更新されていくというのは常に新鮮な娯楽を時間の許す限り享受できるこれ以上ない幸福な状態だと考える。

 

 様々な技術が大衆に降りて来て、さらに発信するということにおいて最強のインターネットが世界中に張り巡らされている現在、何においても供給過多になることは避けられない。したがって供給過多であることが悪なのではなくそれを捌き切れないライフスタイルに問題を探すように思考を切り替えていかなければいけないような気もする。個人的に人間は将来もっと遊んで暮らすようになってて欲しいね。

 

 兎にも角にも情報の取捨選択ができないこと自体は悪ではないけど、それを理由にコンテンツの拡大を阻害し、縮小させるような動きを取ってしまうのは冷静であるとは思えない。

 もちろん供給には事欠かない世の中でコンプレックス拗らせて好きでもないコンテンツにしがみついて荒らし回ってるようなのは論外としてもね。

 

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オタク、止まるんじゃねぇぞ……。