ミロヴィ幼女

思っていないことを思う

ペンギン・ハイウェイ考察(ネタバレ有り)

 大変遅くなりましたが今回はタイトル通りペンギン・ハイウェイの簡単な考察です。映画の内容は当然として、原作の内容にも大きく言及しているので未読の方は気を付けてください。あれこれ細かいことに言及すると長くなりますし散らかるので物語のクライマックスの解釈について書きます。以下常体。

 


 まず、この作品を批評していく上で重要になるウチダ君の死生観ついてまとめておく。
 ウチダ君は宇宙に対してアオヤマ君以上の興味を示していて、ブラックホールを非常に怖がる。そしていつも眠る前に自分や両親が死ぬことや、死んだ後のことを考え漠然とした恐怖を感じている。しかし、物語の中盤で彼は彼なりの死生観を生み出し、それをアオヤマ君に語る。この一連の流れはこの物語のクライマックスに大きな影響を与えていると考えられる。

 ウチダ君はいつも何かに怯えているような内気な少年として描かれている。彼が怯えているのはガキ大将のスズキ君だったかもしれないし、大人に叱られることだったかもしれない。しかし、ウチダ君を本当に脅かしているのはそのような具体的な物事ではないのである。この物語には生命の起源としての海というキーワードが度々登場する。アオヤマ君達の住んでいる街に突如現れた世界の穴と思われる<海>、お姉さんが生まれ育った海辺の街、アオヤマ君が空想するカンブリア紀の海といったように。そしてアオヤマ君は様々な場面で海に行きたいという気持ちを膨らませる。それと対比するようにウチダ君の周辺には宇宙に関連することがたくさんある。ウチダ君がブラックホールを怖がる話が何度も登場するし、アオヤマ君とはいつか一緒にロケットの打ち上げを見ると約束している。そしてウチダ君は物語の中で一匹のペンギンに懐かれ、ペットのようにして可愛がる。ペンギンは作中ではロケットになぞらえられることが多く、しかもペンギンが特定の人間に懐いているという描写があるのは生み出した張本人であるお姉さんを除けばウチダ君だけであるのは無視できないように思われる。

 これらのことからウチダ君にとっての宇宙とは死の具体的なイメージに最も近いものだったと考えられる。それと同時に彼にとって最も身近で最大の恐怖とは死であることも示している。
 

 そして、これは映画では描写されていなかったがウチダ君は物語の終盤にアオヤマ君にだけ物語を通して組み上げた彼自身の死生観について語る。

 ウチダ君も物語の途中からアオヤマ君やハマモトさんと同じように自身の思いついたことや考えをノートに書き込むようにしていたのだが、アオヤマ君やハマモトさんとは違ってノートに書いてあることを誰かと共有することをずっと拒んでいた。実際アオヤマ君にノートの中身を打ち明ける直前も自分が何を言い出すのか分からないといったような恐怖を抱いていた。それは突拍子もないことを言ってしまったばかりにアオヤマ君にバカにされ、関係が壊れることを恐れているという面もあっただろうが、本質的には自身が抱いた考えを言葉にして他人に伝えるという行動自体に恐怖しているとも思われる。自身の考えを言葉にして他人に表現するということは思想の実体化を伴う行為であったからだ。
 アオヤマ君にだけ語ったウチダ君の死生観は一言で表すと「人は死なない」というものだった。つまり、自分の世界の中で他人が死ぬことは当然あるが、それは自分がその人が死んだ世界線に分岐したというだけで、死んだその人自身はその人が死なずに生きたという世界線に分岐しているだけだという論理であり、それは自分自身にも適用されるということである。一見するとただの言葉遊びのようであるし、常に生きている未来に意識が運ばれているのだとしてもそれを永遠に繰り返していくうちに人としてあり得ない年齢になってしまうのではないかという反論ができるようにも思われる。しかし、この「ペンギン・ハイウェイ」にはウチダ君の論理を支えるような要素が散見されるのだ。まず人が生命に関わる数だけ世界線が分岐して並行世界が作られていくという仮説にはアオヤマ君のお父さんの世界の果ては世界の中にあるという発想や、スズキ君が<海>に接触した際運ばれた過去の存在に通じているし、自らが生きる方へ生きる方へ進んでいき、それは永遠に繰り返せるという仮説もアオヤマ君の夢の中でお姉さんがアオヤマ君に対して「本当の本当に遠くまでいくと、もといた場所に帰るものなのよ」と個体の生命単位ではなく、世界単位の輪廻を思わせることを語るシーンにつながっていると捉えることができる。アオヤマ君とウチダ君が共同で行なっていたプロジェクト・アマゾンという水路の水源を捜索する計画の中でその水路に水源はなく、<海>の影響でぐるりと一周する、つまりループするように流れていたことが判明するのも偶然ではないだろう。

 結論として、最終的に世界の穴である<海>はお姉さんが生み出したペンギンによって修復され、世界と世界の衝突が免れたためにアオヤマ君の前からお姉さんは姿を消してしまう。これは世界が修復されるという表現を端的に捉えるとアオヤマ君達が暮らしていた世界がオリジナルで、お姉さんがいた世界はそこに侵食したバグのようなものであると捉えられかねないし、実際ウチダ君が自らの考えをアオヤマ君に打ち明けていなければ、アオヤマ君はお父さん曰く世界の果ての一種である理不尽を恨んだかもしれない。

 しかし、この世界と世界が衝突し片方が生き残り、片方が消えてしまうという構図に無限に分岐し続ける世界という発想とそれを土台にしたウチダ君の死生観を加えることでどちらの世界も同時に存在し、アオヤマ君にとってお姉さんは消えてしまったように観測されたかもしれないが、それはお姉さんの存在や意識までもが消滅したということとイコールではない可能性を見出すことができたのだと考えることができる。これこそがアオヤマ君の見つけた「ペンギンハイウェイ」なのではないだろうか。
 

 この作品には他にも大小様々な思いと思いのぶつかり合い、言い換えれば世界と世界のぶつかり合いが描かれる。そんな大人でも音を上げたくなる難問に誰よりも真剣に取り組んだ小学四年生の物語であったと言えるのではないだろうか