ミロヴィ幼女

思っていないことを思う

バカと長文

 長文って読みたくないですよね。文字ばかりがズラッと並んでるのを見るとうんざりするって人も多いんじゃないでしょうか。個人的には長文を読まないこと自体が悪いことだとは思ってないんですけど、もし「自分はバカだから長い文章を読んでも理解できないはずだ」という理由で長文を読まないという選択をしてるのだとしたらそれは悪手だと思います。

 

 というのも長文というのは基本的に短文よりも理解しやすいことが多いからです。まぁ同じことをだらだら繰り返すだけの悪文もありますが、多くの長文は誰にでもわかるような内容である場合が多いです。なぜならば文章が長くなる理由の大半は分かりやすくするために言葉を尽くしているからだからです。

 簡単な例は辞書です。辞書で言葉を引くと、その言葉の意味が違う言葉でたらたら説明してありますよね。熟語一つの説明に長文が一つ引っ付いてるなんてこともざらにあります。その言葉の意味を知ってれば熟語一つで済むかもしれませんが、その言葉を知らない人に同じことを伝えたいときは辞書の説明のように違う言葉で言い換える必要があります。

 そして短くてコスパの良い言葉には知識的なハードルがあることのほかにもう一つ欠点があります。それはいろいろな意味を包括している反面、ニュアンスの違いに左右されがちなことです。難しい言葉だらけの文章を読んでいるとなんだかふわふわした文章だなというイメージを抱きますよね。このような意味のふわつきを抑えるために文脈を文章で補完していっても自然と長文になっちゃいます。

 

 とか何とか言っておいて、「長文は分かりやすい文章であることが多いので面倒くさくも怖くもないよ」ってことを説明するだけだったのにこんなに文字数を使っちゃいましたね。バカにこそ読んでほしい長文をバカまで届けるためには、まず長文の良さを長文で説明しなければいけないという矛盾に文化的限界点を感じます。

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文化的限界を感じる桜島麻衣